ロシア (3)

ハバロフスク〜スコボロジーノ


アムール川にかかる橋を渡る。

  2003年6月8日 ハバロフスク〜ビロビジャンの先 走行 340km TOTAL 1,477km

 アムール川

 朝、駐車場にバイクを引き取りに行ったらバイクの周りに車がぎっちり停まっていてバイクが出せない状態。駐車場の係りがどこやらに電話をかけているのだが、車の持ち主はいっこうに現れず、時間ばかりが過ぎていった。結局ロシア人の馬鹿力でバイクを持ち上げ、60センチの段差を無理矢理通してしまった。

 ハバロフスクから先はアムール川を渡る。艀でわたるものだと思っていたが、川幅の広い大河に巨大な橋がかかっていてビックリ。橋の上から見ると川船が往来しているのが見える。

マシンガンを持った警官と またもや検問

 ビロビジャンの町の手前で検問。ここの警官はなかなかしつこくて、
 「あの書類出せ、この書類出せ」
 とたくさんの書類を要求してくる。これで30分くらい足止めになったが、いつものようにみどりが愛想ふりまいてくれたおかげで、その場の緊張が解け、写真まで撮らせてもらうことに...。さっきまで険しい顔してマシンガンを持った警官もニッコリ写真に収まってくれた。

 検問からやっと解放されたと思ったら、パトカーが待ちかまえていて署までついてこいという。さっきの検問で連絡が行っていたらしい。「ああまたか」とうんざりしていたが、警察署でパスポートを取られ、またもや足止め。
 「いったい何が悪いというのか!?」
 しばらく待っていたらオヴィール(内務省地方局)の人がやってきて、「外国人登録」をしてくれた。ロシアでは外国人の行動を管理するため外国人登録という制度が未だに残っていて、その地方地方ごと、滞在先の大きな町に着く度に外国人登録しなければならないらしい。いまいちよくわからない制度だが、今回はとりあえずは丸く収まった感じだ。
 ついでに、パトロールから帰ってきた警官にホテルの場所を聞いたら、パトカーで先導してくれてホテルの場所を教えてくれた。ロシアの警官については悪い噂を聞いていたが、みんな結構親切だ。
 残念ながらパトカーで案内してくれたホテルでは外国人の宿泊を断られる。しかたなく野宿覚悟で先に進むことに...。

 道はやがて穴ぼこだらけのダートとなった。途中でキャンプ地を探すが、開けた場所は湿地帯だったり、あるいは突然人が出てきたり、かといって藪の中にはいると蚊の巣窟だったりとなかなか良い場所が見つからない。
 さらに進んだ村でホテルを聞いたら、親切にもそのホテルに電話して聴いてくれた。その上車で通りかかった人が先導してくれて宿に連れていってもらう。しかしというかやはりというか、その宿も外国人を宿泊させるのは許されていないとのこと。警察署で許可をもらってくれば泊めてくれるとのことだったが、警察署へ行っても許可を出す権限がないらしく無理だった。今日は宿をあきらめてブッシュキャンプしよう。

注釈: ブッシュキャンプとは、設備の整ったキャンプ場などでするキャンプとは違い、何もない原野に隠れるように野宿することをいう。

 蚊の大群

 夏のシベリアは蚊が多くて大変だと聞いていた。8年前に夏のアラスカを走ったことがあったが、アラスカもやはり蚊がひどくて、バイクを停めると自分の風下に鯉のぼりのような蚊柱がなびいたのを思い出す。
 シベリアはそこまでひどくはなかったが、やはりキャンプ地に入ると蚊の大群に包囲されてしまった。シベリアは蚊が媒介する脳炎があると聞いていたので、あまり刺されてばかりいると大変。急いでテントを張り中へ逃げ込んだ。こんなに蚊が多くては外でご飯を炊く事もできず、仕方なくテントの中でパンをかじる。
 遠くにハイウェイを走る車の音、シベリア鉄道を往く列車の音、そしてみどりのスヤスヤ(というなま易しいものではないが..)寝息を聞きながら眠る。

 「夕べのいびき、シベリアタイガーが来たかと思ったぞ!」

【みどり日記】

 ハバロフスクの駐車場の件は参った。ロシアの人は、全く後のことを考えてないのか。だいたい、そんな真横に車を停めたら、バイクが出ないのもわかりそうなのに。そういえば、昨日マラソン大会が街中で行われていたけど、事前に交通規制がなされてなかったらしく、大渋滞。日本では考えられないと思った。でも、駐車場のおじさんは親切だった。ゴミ箱を移動させたため散乱したゴミを片づけようとしたら、「君たちはいいから、行きなさい。」と言って、いやな顔もせずに見送ってくれた。

 ビロビジャンの手前の検問では、「モスクワへ行くというのに、何でカザフスタンのビザを取っているんだ?」と言われた。インビテーションには、モスクワへ行くという記載があるのだけれど、実は行かない予定なので、まずいと思った。何度も入国できるマルチプルビザを取っていたので、また入国するからと言ってごまかした。念のためマルチにしておいて良かった!
 ここでは、パスポートのほかに、バイクの一時輸入許可証、登録証、国際免許証を見せるように言われた。国際免許証についても、あまり見方がわからないらしく、ロシア語の表記のあるページをこちらで開いて見せてやっと納得してくれた。
 でも、こちらのポリスは思ったよりも好意的。事前に聞いていたほど威圧的ではなかった。
 「ヤニパニマーユ(分かりません。)」と言う言葉は、結構使える。分からないんじゃしょうがないや、というかんじで、分かりやすく説明してくれたり、あきらめてやってくれたりする。まずい状況になりそうなときも、この言葉で逃げてしまうこともある。

 今日も宿探しに四苦八苦。村では、バイクを指さして「これはいくら?」を連発する子供達に囲まれた。ロシアではポリスを始め、みんなによく聞かれる質問だ。適当に安く答える。何だかうざったくなるし、バイクが心配なので、宿泊まりはやめにしよう。
 結局、今日もキャンプ地を探しているうちに100キロくらい進んでしまった。人目を避けるため、脇道からさらに道なき道に入って、やっとここにしようという許可が下りる。何もそこまで、と思っていたけれど、実際に夜になると、近くで車の音がするたびに、見つかるんじゃないかと冷や冷やする。まるで悪い事して逃げ回っている罪人みたいな気分になった。

 人目を避けたはいいけれど、蚊の大群には参った。特に私の場合、トイレが一番問題。こんなところで、お尻を出すのは勇気がいる。考えたあげく、バイクカバーを被って用を足した。バイクカバーって、本当にいろいろと役に立つね。

 ついでにロシアのトイレについて。
 沿道のカフェやガソリンスタンドの近くには、板で囲われたトイレがある。中は、板を渡した床の真ん中をくり抜いて、穴があいているだけ。足を置くところは、さらに板が重ねてある場合もあるけれど、ないところなどは、ブーツで床を踏み抜いてしまいそうな不安にかられる。そんな粗末な作りだ。綺麗なところもあるけれど、時には足の踏み場もないほど周りに用便が盛られていて、どんなに勇気を振り絞ってもできなかったところもある。その辺でした方が、ずっとかましに感じた。

 夜10時半頃、やっとテントに落ち着けた。今のロシアは日が長くて助かる。このくらいでもまだ明るい。疲れ切った私たちは、速攻で眠りについた。 

 

  2003年6月9日 ビロビジャンの先〜ノボブリェイースキー 走行 206km TOTAL 1,683km

テントの中で雨具を着て出発! 朝から雨

 朝はテントをたたく雨の音で目を覚ました。テントから外を見ると、鉛色の雲が空一面を覆っている。仕方なくテントの中で雨具を着て出発。
 朝からずっと未舗装の道が続く。粘土質の土なので雨水を吸った路面は滑る滑る。ブロックパターンのタイヤを履いているのに時々ハンドルが取られて恐い思いをした。危うく転倒寸前までいったことが2〜3度。

 四車線くらいある幅の道が出来つつあるようだ。あちこちで橋を架ける工事が行われ、あと何年かすれば立派なハイウェイが出来上がるだろう。
 未舗装の道は県境あたりに約200km続き、アムールスカヤ県の首都ブラゴベシェンスクに近づくとまた道が良くなってきた。

工事中の道と迂回路が多くなってきた 県境をまたいだら一時間時間が戻った。太陽を追って西へ進んでいると、少しずつ時間が遅れてゆくのは北米やオーストラリアを横断したときに経験していたが、その度にちょっと時間を得した気分になる。逆に西から東へ進むと、タイムゾーンをまたぐ度に時間が進んで一日23時間しかなくなることがあるのだ。

 警察署の倉庫にバイクを入れる

 ノボブリェイースキーの手前でまた検問。パスポートや国際免許証を見たらすぐに通してくれた。ついでに警官にホテルの場所を聞いたらノボブリェイースキーの町にあるとのこと。

警察のサイドカー 人に訊きつつ行ってみたらミリツィア(警察署)の隣にホテルはあった。ホテルにはバイクを安全に置いておけるようなところはなかったが、宿のおばちゃんが隣の警察署に電話してバイクを預かってくれるよう頼んでくれた。おかげで二台のバイクはパトカーと一緒に警察のガレージに収まる。この町は道行く人も警官もみな親切だ。

ガスチーニツァ ボストク Boctok p468

 

【みどり日記】

 道はほとんどダート。そのうえ、今日は朝から雨。道路がかまぼこ状に傾いているので、路肩の方へズルズルと滑る。ダート走行をすると、身にしみて荷物を減らそうと思う。走りづらいだけではなく、キャリアが壊れるんじゃないかと心配になる。

 雨の中見つけた食堂でほっと一息。暖房が入っていた。晴れると暑いけれど、雨が降っただけでとても寒くなる。ここはやっぱりシベリアなんだ。冬用の手袋でも手は冷たい。

 チタまで○○キロという標識をあちこちで見かける。シベリア横断道路が今年から開通するという噂を、日本でも何度か聞いていたけれど、本当にそうかもしれない。「標識が新しいから、最近つけられたものかもしれないよ。」と弘行が指摘する。するどい。妙に期待をさせる。この程度のダートならば、私にも行けそうなんだけどなぁ。



  2003年6月10日 ノボブリェイースキー〜ブラゴベチェンスクの先 走行 330km TOTAL 2,013km
ロシア製バイクИЖ(イージュ)に乗る地元の若者 中国国境の町

 ノボブリェスキーからブラゴベチェンスクへ向かう道は、昨日走ってきた泥っぽい砂利道が嘘のように綺麗な舗装路だった。
 道から見える風景は地平線の果てまで全部牧草地。時々馬車や牛の群、ミルク缶を運ぶ人を見かける。
 ブラゴベチェンスクは東部シベリアの中心地的な都市である。町にはトロリーバスも走り、大きなビルやアパートが建ち並んでいる。
 ここから先はしばらく町らしい町が無いため、銀行へ寄ってドルをルーブルに両替。
 あとで知ったのだが、実はこの町、新型肺炎SARSの患者が出た町らしい。それもそのはず、アムール川の向こうは中国であり、中国人の往来も多いのであった。このときは何かいやな予感がしてすぐに町を出たのは幸い。

快適なキャンプ地を見つけた ブッシュキャンプの場所探しは慎重に。

 何度か脇道に入ってみたが、地元の車の出入りが多そうだったり、隠れる場所がなかったりで良い場所が見つからない。ブッシュキャンプの第一条件は、人目を避けること。道往く車からテントやバイクが見えない場所を選ぶことはもちろん、キャンプ地に入るときに人に見られたり、入り口にタイヤの跡がくっきりついてしまうと後々強盗を呼ぶ事になるのだ。
 幾度か脇道に入っているうちにやっと良さそうな隠れ場所を見つけた。そこは普通の車では降りる気にならない急坂を下り更に水の浸食で荒れた坂を上ったところで、行き止まりに300坪くらいの広場があった。
 「ここでキャンプにしようか、あれ?」
 みどりがついてこないと思ったら、上り坂で転んでいた。今日二度目の転倒だ。

  このあたりはテントの外でも炊事ができるくらい蚊が少なく快適なキャンプができた。
 野宿地の位置は、 N50'59'19.7" E127'49'50.7"戦車!?

【みどり日記】

 ホテルの前で、変なオヤジが寄ってきた。写真を撮ってくれとせがむ。面倒くさいなと思っていたら、ホテルの隣のポリスが、追っ払ってくれた。お礼を言うと、実にスマートに会釈を返してくれる。日本で聞いていた、ロシアの悪徳警官という評判は、何だったのだろうか。みんな、とてもエリートっぽく見える。

 ブラゴベチェンスクまでの道は、主要道路ではなく、直線で結ぶ近道の方を走った。今までのシベリアの道は、北海道の知床(道東)という感じだったけれど、今日は、同じ北海道でも帯広(道央)といった感じ。実に牧歌的な風景だ。

 夕方、恒例のキャンプ地探し。何度も横道に入っては戻り、入っては戻り。なかなかいい場所が見つからない。普通のダート道ではこけないけれど、キャンプ地探しをするときは、本当に変なところばかり入って行くので、私は大変だ。「この大荷物で、ここへ行けと言うの?」と心の中でつぶやきながら、案の定こける。さすがに行き着いた先は、誰も来ないだろうと安眠できる場所ではあった。

 

  2003年6月11日 ブラゴベチェンスクの先〜マガダガチの手前90km 走行 353km TOTAL 2,366km
チタまで1370km 朝起きてテント畳んで夕方まで走る。だんだん日々の行動がシンプルになってきた。
 シマノフスクを過ぎてから道は完全にダートに変わる。車やトラックが立てる砂煙を浴びて走るものだから全身小麦粉を被ったように真っ白。
 幅広の砂利道を100kmくらい行ったあたりに十字路があり、左へ往くとスコボロジーノの標識が立っている。左折した先の反対車線に、今曲がった道をまっすぐ行くとチタへ至るという立派な標識があった。「もしかして」と期待してチタの方に走ると、ダートのハイウェイはその先10kmで原野に消えていた。その先は車の轍が細々と三方にのびているだけ。おまけに轍は泥沼のように水がたまっていて、二本の長い水たまりが荒野の果てまで続いていた。チタへ向かう新しい道路は突然バローダに消えていた
 「道が出来ていないのに立派な標識だけ先につけるとは!」
 仕方なく既存のガタガタ道を走りスコボロジーノへ向かうことにした。

 一般の日本人にはあまり知られていないのだが、シベリアを横断する鉄道はあっても、車でまともに走れるような道はいまだ繋がっていないのである。鉄道駅の周りに細々とした村はあっても、その村々の間の「バローダ」と呼ばれる湿地帯には細々とした道が繋いでいるだけ。湿地が凍結した冬はともかく、道が泥沼と化す夏は「ウラル」と呼ばれる六輪駆動のトラックやトラクター以外走り抜けるのは困難とされていた。
 そんな状態だから去年まで、車はもちろんバイクでロシアを横断しようという旅行者もほとんどの者が道を走ることをあきらめ、不通区間の数百キロはバイクを列車に乗せて通過している。
道は時々シベリア鉄道と並行して走る しかし、今年になってこの区間の道路が開通したという、なんとも信じがたい噂が聞こえてきたのである。で、半信半疑でこの道に期待して来たのだが、まともに走れる砂利道が繋がっているとされる最後の町、スコボロジーノまで向かうものの道はだんだん険しくなるばかり。途中四車線分はあるような立派な未舗装路はできていたのだが、その道でさえ途切れ途切れに分断され、途切れた部分は既存の細い未舗装路が繋がっている。
 「果たして本当に道は開通しているのだろうか !?」
 なんだか地獄へまっしぐらに進んでいるような気がするが、気にしないで行けるところまででも進んでみることにしよう。今日は日没近くまで走り、白樺林の陰でブッシュキャンプ。

【みどり日記】

 今日はものすごく暑い。ロシア人に教わった「ジャールカ(暑い)」という言葉を連発する。今日の検問では、ポリスからプレゼントだと言ってカードサイズのカレンダーをもらった。ロシアのカレンダーは少し日にちの並び順が変わっている。日本ならば横に1、2、3と数字が並んでいるけれど、ロシアのは左から縦に数字が並ぶ。慣れないので何とも見にくい。

 シマノフスクからは、本当に何もないダート道。休憩するようなカフェもない。私は疲れてしまうので、店があるところまで走るのはあきらめ、何でもないところでも休憩をとる。
やっと見つけた売店で水を求めたところ、サイダーみたいな甘いものしか置いてなかった。これも水って言うの? これではコンタクトも洗えないし、お茶も飲めないよ。

 造りかけの道の先が出来ていなかったときは、本当にがっかりした。もしやチタまで行けるかもしれない、という淡い期待は一気にしぼんだ。

 今日も日が暮れるまでひた走る弘行。キャンプ地を探している気配も感じられない。夜通し走り続けるつもりなの? もうっ、全くこっちのことを考えてないんだから!
結婚前、「地の果てまでついて来て!」と甘い言葉をささやかれて私は喜んでいたけれど、あれは、「俺は俺のペースで行くから、ちゃんとついて来いよ!」という意味だったのかしら?
「だまされたー!」と今頃になって思うのだった。
日が落ちる前に何とかストップをかけ、夜通し走る羽目になることは避けられた。

ロシアの給油機は自動的に止まらない! ガソリンスタンドの窓口で先払い

 

  2003年6月12日 マガダガチの手前〜スコボロジーノ 走行 338km TOTAL 2,704km

しばし休憩 ダスティな道

 今日もひたすらダートロードを走る。常に路面とにらめっこして頻繁に現れる穴ぼこをかわす。こんなシベリアの僻地でも交通量は意外と多く、砂ぼこりをもくもくと巻き上げて走る車には閉口した。未舗装の道に舞い上がる砂煙は霧の中を走っているように視界を遮り、ヘルメットのシールドはすぐに砂埃で見えにくくなってしまう。人車とも全身黄色い小麦粉を被ったようだ。

 スコボロジーノでは親切な人に会えたおかげで、バイクを警察の倉庫に入れることができ、普通は泊まるころができない駅の宿泊所に泊まることができた。詳しくはみどり日記で。

【みどり日記】

 20人の大陸横断サイクリストとコンスタンチンさん

地元の人に道を聞きながら進む スコボロジーノでは、一度目のホテルに断られた。ホテルを探すときは、だいたいいつも弘行がバイクの番をして、私がホテルに交渉に行く。宿のばあさんににべもなく断られて困った顔をしていたら、入り口にいた子供達とお兄さんがいっしょになって心配してくれた。そのお兄さんの案内で、駅の宿泊所へ。

大陸横断サイクリストのサポートトラック「ウラル」 彼は、そこに泊まっていた男性に後のことをたのんでくれたようだ。その男性はコンスタンチンさんといって、ウラジオストック在住。今回は、ユーラシアを自転車で横断するグループのサポートとして来ていた。オランダ人を中心とする欧米人サイクリストのグループ、ポリオライドのメンバーは、なかなかすごい。ウラジオストックからアムステルダムまで、3ヶ月くらいの予定で走るという。それも自転車で!

コンスタンチンさん 親身になって宿やガレージを探してくれた 駅のゲストルームには、特別に1泊だけならということで泊めてもらえることになった。駅の周りは、列車待ちの車がたまっていて、あまりバイクにとって治安は良さそうじゃない。コンスタンチンさんの口添えで、警察の駐車場で預かってもらえることになった。さらに帰りは宿まで警察の車で送ってもらうというサービス付き。
 ゲストルームは、思ったよりも綺麗な部屋だった。ただシャワーがないのが残念。トイレの水道で久しぶりに頭を洗った。お風呂が恋しい。

 

 

六輪駆動のトラック「ウラル」


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