モンゴル (3)

7月4日〜7月14日 ウランバートル〜アルバイヘール


野を越え丘を越え川を越え温泉を目指す

 7月4日 ウランバートル〜モンゴル・アルタイ・ツアーキャンプ(ブルド) 286km Total 5,416km
 秘湯とモンゴル人少女を探す

  今日から6泊7日でウランバートルから西へ500kmほど行ったところの温泉地を目指す。が、今回は温泉だけが目的ではなく、みどりが6年前に来たときに出会ったモンゴル人の少女を探す意味もあった。しかし、出発時点で彼女が住んでいる場所というのはウランバートルから400kmほど行った町という情報だけしかなく、この広いモンゴルで探し出すのはかなり困難が予想された。電話もなければ住所も定かでないということは遊牧民?

ロシア製のワンボックス型四輪駆動車 バヤサーから、親戚に遊牧生活をしている人がいるという話を聞いた。その親戚を訪ねるときどうやって探すのか訊くと、以前ゲルが建っていたあたりに行き、周辺のゲルを訪ねて移動先を教えてもらうそうだ。モンゴル語がわからない我々にそんな事ができるのかな!?

 ウランバートルの町を出るとそこはもう360度大草原の世界だ。細々と続く舗装路はガタガタの穴だらけ。舗装は所々で分断され、終いには土の道に変わった。
 今日はツーリストキャンプに投宿。モンゴルに来てから自分のテントは一度も張らず、都市部以外は専ら常設のゲルにばかり泊まっている。一度ゲルの快適さに慣れてしまうとテントを張る気にならないものだ。

 【みどり日記】

 地方のナーダムに出会った LUN村

6歳くらいの少女も疾る! 草原を走っていたら、人々が大勢集まっている光景に出くわした。きっとナーダムだとピンときた。ナーダムとはモンゴル人のお祭りで、競馬や弓、モンゴル相撲が有名だ。7月上旬に行われ、これが終わると秋が来たと思うそうだ。各村や町ごとでも行われるが、国を挙げてのナーダムはウランバートルで7月11日、12日に行われる。
 ここLUN村で、地方のナーダムが見れたのはラッキーだった。村人に歓迎されて、チーズや馬乳酒を振る舞われた。そしてクライマックスは子供達の競馬。ゴール地点で観戦をする。子供達に「あっちの方からやってきたよ。」と教えてもらい、そちらの方を見ると遠くに砂煙が。やがて最初の馬がゴールした。馬に乗った子供達はりりしくて、何ともかっこいい。

 モンゴル・アルタイ・ツアーキャンプ

 砂丘の一画にあるこのツーリストキャンプは、夏休みの子供達がしっかりと働いていた。英語を話す礼儀正しい男の子や、素朴で美しい日本語を話す女の子等に世話をしてもらって、心が洗われる思いがした。ゲル一泊一人10$のところを二人で15$にまけてもらった。
 ゲルに電気はなく素朴な作りだが、併設設備はしっかりしている。


砂丘の上からキャンプを見下ろす

 

  7月5日 モンゴル・アルタイ・ツアーキャンプ(ブルド)〜ホットガイ・モド・ツーリストキャンプ(ツェツェルレグ) 220km Total 5,636km

 ツェツェルレグまで

モンゴルの道 アースロードが草原の彼方へ続く ハラホリンから先は完全に未舗装路となった。未舗装路はやがてアースロードに変わり、草原に車の轍が幾筋も延びている。道標なんて気の利いたものはないので、地図を見ながら大体の方角を見極めながら進む。
 夕方遅くにツェツェルレグの町に到着。予定ではここから更に道なき道を進んで温泉地を目指すはずだったのだが、町の人に道を聞くものの誰もはっきりした事を知らないようだ。風呂に入る習慣のないモンゴルでは、近くで温泉が湧いていてもあまり関心が寄せられないのだろうか?
「もう時間も遅いので今日行くのは諦めよう」
 ツェツェルレグの町で宿を探していたら、親切にも車が数台止まってくれて、温泉への道や安くて快適な宿を教えてくれた。その中の一人がツーリストキャンプのオーナーらしく、キャンプまで案内してくれた上、宿泊料を半額にまけてもらった。彼は薬剤師でもあるらしく、9月からドイツへ研修に行くという。僕たちもこれからドイツを通ることを言うと、ドイツに来たら連絡をしてほしいと言い、住所まで書いてくれた。

 【みどり日記】

 ホットガイ・モド・ツーリストキャンプ

 ハラホリンからツェツェルレグまでは新しい道路を建設中で、土を盛った広めの砂利道が所々で造られはじめていた。でも、ガタガタと振動が大きくなって走りづらい。轍のようなアースロードの方がずっと走りやすいと思った。
 
 私たちが泊まったホットガイ・モド・ツーリストキャンプは、ツェツェルレグの西側の山の斜面にある。町がよく見渡せてとてもよいロケーションだ。安いホテルも紹介してもらったが、ゲルの方がいいのでオーナーと値段交渉。はじめの言い値は一人10,000Tg(約1,000円)。やはりツーリストゲルはホテルより高い。「さっきの人に紹介してもらったホテルはもっと安かったよ。」と言うと、最終的には半値にまけてくれた。結局二人で10,000Tg。今はSARSの影響なのか旅行者が少ないので、値引きしてでもお客が欲しいのだろう。
 4年前にできたこのツーリストキャンプは、ゲルの中の設備はなかなかいい。しっかりした板床で、内装も綺麗な布で覆われていた。電気も使える。ただ、併設設備はあまりよくなく、トイレは穴が開いているだけ。水道もなく、貯め水方式。もちろんシャワーもなし。でも、町中のホテルよりは環境がよく、気持ちがいいのでお薦めです。

 

 7月6日〜7日 ツェツェルレグ〜シベートマンハン・ツーリストキャンプ(ツェンケル温泉) 35km Total 5,671km
 草原の道と遊牧民

川を渡るみどり ツェツェルレグから南へ2kmほど行ったところで、バイクでは越えられそうにない深い川に行く手を阻まれる。しかし、少し上流へ行ったところに木製の頼りない橋を見つけた。そこは川が数本に分流している所で中州と中州を繋ぐように簡単な橋が連なっているようだ。しかし簡単な橋ゆえに時々川が増水したときに流されるらしく、今は補修工事の途中らしい。
 工事中でゲートがかかっていたが、なんとかお願いして通らせてもらう。しかし、橋を渡った先に更にもう一本橋があった。そこはまだ半壊したままで通行不可。仕方なく道から河原に降りて川の中をザバザバと走った。更に道は草原の中に更に細々と続く。コンパスで大体の方角を確認しながら進む。

川を渡るみどり 遊牧民の少年が浅瀬を先導してくれた 丘を越えた先に更にまた川に阻まれ、川の向こうには細々と車の轍が続いていた。
 「この川を越えて行かなければならないのかな? それとも道が間違っていたのか!?」
あれこれ思案していると、近くに牛車を曳いた遊牧民のおじいさんが通りかかった。道を聞くと、川の向こうに続く細い道でよいらしい。そして、おじいさんは、
 「少し下流へ行きなされ、浅いところがあるんじゃ」
 と言った。
 下流へしばらく走っていると、向こう岸からジープが走って来て川を渡っているのが見えた。
 「あの場所だ!」
 川幅は10メートル程度だが、流れが速く、水が濁っているため深さがわからない。
 「もっと他によいポイントがあるんじゃないかな」
 ためらっていると遊牧民の少年三人が鞍もついていない馬に乗って颯爽と駆けてきた。訊くとここが一番渡りやすい所らしい。少年たちは馬で川を渡って見せてくれ、またこっちの方へ戻ってきてくれた。馬の足で深さを教えてくれたのだ。川を指さして「GoGo!!」という少年たち。
 まずは自分が先に渡渉。川底の岩が見えないので、バイクに跨ったまま走るのはリスキーだ。ここはバイクを押して難なく渡りきる。次にみどりが渡渉。こわごわ進み始めたら馬に乗った少年が浅い場所を先導してくれた。

野を越え山を越え川を渡りやっと辿り着いた温泉 草原の道なき道をコンパス頼りに進み、途中遊牧民に道を聞きながらなんとか温泉地に到着。たった29kmの道のりなのにかなり走った気がした。
 ここは大草原の中に沸き出す温泉地。昼は草の海、夜は満天の星を見ながら湯につかった。

 【みどり日記】

 モンゴルの道

 私は6年前にバイクツアーでモンゴルに来たことがある。その時はただ、ガイドに連れられてはぐれないように後をついていくだけだった。しっかりとした道路もなく、標識もなく、聞こうにも遊牧民の言葉もわからない。こんな地は個人では絶対にツーリングできないと思っていた。
 でも今回、自分たちだけで旅をしてみて結構行けるものだと思った。ツアーでは行き先も方向もわからなかったけれど、地図を見て方向を確認しながら自力で進んで行くのはやっぱりおもしろい。何も持っていない私は太陽の位置を見てだいたいの方角を知る。そして弘行は更に磁石で方向を確認する。最終的にはGPSがあるので、心配なときはそれで調べる。遊牧民の言葉がわからなくても、行きたい地名さえ通じれば教えてくれる。川渡りなどの難所も、最良の場所を知っているのはそこで暮らす人々だ。ボディーランゲージでも話は分かる。遊牧民達は、必ずどこからともなくやってきてくれるので、とても心強かった。
 弘行は川渡りで私が躊躇していると、「早くしろ!」と言って甘やかさない。押して渡るような川も、助けるふうでもなくカメラを向ける。まあ、その方がうれしいかな。自分でできそうなことに、余計な手出しはしない姿勢はいい。たまに弘行が先を走ると、あっと言う間に見えなくなる。草原のダートでも。それだけ信用しているという事らしい。確かに心配な場所ではちゃんと後ろで見守っていてくれる。弘行といると、このモンゴルの大草原の中でさえ、どこへでも行けるような気がしてきた。

 ツェンケル温泉

ジグールツーリストキャンプの温泉 ガイドブックではジグール温泉と紹介されている場所だが、ジグールとはツーリストキャンプの名前なので、正確にはツェンケル・ホットスプリングスという場所になるらしい。去年からジグールとは別に新しいツーリストキャンプもできた。
 近くの源泉からは86度の熱湯が湧き出ている。それをパイプでツーリストキャンプまで引いていた。草原の中で入る露天風呂は最高である。

 シベート・マンハン・ツーリストキャンプ

屋外で昼食を食べる 去年できたばかりのツーリストキャンプ。シベートとマンハンという近くの山の名前をとってつけたそうだ。老舗のジグールの手前隣にあり、料金も手頃なのでこちらに決めた。温泉入浴付き、三食付きで1人25$の言い値を、二人で32$にまけてもらった。現地通貨払いにしたら更に安くなった。結局二人で30000TG(約3000円)。ドル表示でも現地通貨払いを提案してみると、案外安くなるケースが多い。
 温泉はタイル張りでプールを兼ねた浴槽なので、岩風呂ふうのジグール温泉の方が雰囲気はいい。豊富な湯量で、頼めば夜でもお湯を出してくれた。
 食事のメニューは決まっているが、どれもおいしい。昼食は敷地内の草原にテーブルを出して食べる。夕食は近くの高台にテーブルを持っていって、夕日を見ながらモンゴルの郷土料理を食べた。夕食はワイン付き。このようにいろいろと趣向をこらしてくれるので雰囲気はばっちり。
 朝食後は、馬乳酒(アイラグ)のサービスもあった。どんぶり一杯の馬乳酒を、お酒が飲めない弘行は無理をして飲んで、すっかりお腹を壊してしまった。「お腹の中が発酵している感じがして気持ち悪い。」といって寝込んでしまった。結局連泊することに。の〜んびりとした草原温泉地での休日だった。

 

 7月8日 シベートマンハン〜ホジルト 179km Total 5,850km

 再び川渡り

川の中を歩いて渡り、水深や川底の状態をチェックする 二日間温泉に浸かってさっぱりしたと思いきや、ツェンヘル村方面への帰り道でまた川渡りをする羽目になる。往路とは別な道を選んだのだが、来るとき通った道よりも川が多い。
 道路を横切るように一本、また一本と川が現れ、三本目に出くわした川は今までで一番流れが速く、しかも深かった。川幅は約30メートル、水深は膝上10センチくらい。
 川渡りするときは前もって単独川の中を歩き、流れの速さや水深、川底の状態をチェックしてから渡るのだが、今までの経験では杖を使わず歩いて渡れる程度の流速で、股下までの水深ならエンジンをかけた状態で川の中を押して行ける自信がある。
 しかし自分は難なく通過したものの、みどりが渡っているときに川の真ん中でエンストしてしまった。タイヤがすっぽり潜ってしてしまうほど深い川、車高を下げたジェベルのエアクリーナーボックスから水がしみこんでしまったのだ。
 二人でバイクを陸に押し上げ、エアクリーナーエレメントを取り出してみたら水がドドッと滴った。幸い水はキャブまでは達していないようで、エンジンはすぐにかかる。天日でエレメントを乾かした後、エンジンオイルが無いので代わりにサラダ油を塗って再出発。

今回一番広くて深くて流れが急な川渡り

 【みどり日記】

 ホジルト・ツーリストキャンプ

 モンゴルは空を見るとその場所の天気もわかる。雨雲の下から雨の筋まで見えるくらいだからすごい。そんな怪しい天気を見ながらたどり着いたホジルト村は、村全体の雰囲気もなんだか暗く感じる。温泉地だが療養のための保養地で、近くにサナトリウムもある。医者の診断書を持って温泉に入ると聞いた。なんだか病気が移りそうな気がして、温泉に行くのをやめた。病気といっても腰痛や神経痛などだから問題ないとは思うけれど。
 ツーリストキャンプは、一人10000TGのところを8000TGにしてもらった。でも、夕食が5000TGと高い。温水シャワーがあり、電気もつくので設備はしっかりとしている。

モンゴルの道と羊の群れ(みどり)

 

 7月9日 ホジルト〜アルベイヘール 87km Total 5,937km

 【みどり日記】

 オトゴーを探せ!

 モンゴル人の少女オトゴーと出会ったのは、6年前のバイクツアーで訪れたときだ。彼女は当時12歳で、両親と車でバヤンホンゴル県を旅していた。その後、手紙とメールのやりとりを何度か繰り返した。
 今回モンゴルを訪れた一番の目的は、彼女に会うことだった。でも、彼女の住んでいる場所がわからない。日本を出る前に得ていた情報は、ウランバートルよりも400キロの地点に住んでいるということだけ。ウランバートルで彼女からのメールを待つ毎日。といってもこれがまた大変なのだ。実は彼女は英語が分からない。それでアメリカに住んでいるオトゴーの義姉さんを通じて私たちはメールを交換していた。私がアメリカの義姉さんに英語でメールを送り、それをモンゴル語に訳して彼女がオトゴーに送る。そしてオトゴーのメールも義姉さんを通じて私の元へ送られてくる。だから時間もかかるのだ。

アルベイヘールまでもうすぐだ!

 やがて、ウランバートルより西400キロのウブルハンガイにいるという事がわかった。調べてみるとウブルハンガイは県の名前で、とても広い地域だ。その中のどの村にいるの? とりあえず私たちは西へ向けて出発することにした。
 途中、インターネットカフェを探してメールを確認しようとするが、ハラホリンにはなかった。やっとツェツェルレグでインターネットカフェを見つけたが、新しいメールはまだ来ていない。その後、ツェンケルでもホジルトでもインターネットは使えなかった。
 そして訪れたウブルハンガイ県の県都アルバイヘール。インターネットカフェでメールを開く。ここで情報がなければ諦めなければならない。そしたら、「ごめんなさい。ウブルハンガイというのは昔の名前で、今はアルバイヘールという名前の町でした。そこの中心街の近くに住んでいます。」というメールが来ていた。なんだ、今いるこの町じゃない!
 メールの指示どおり、中央警察署に行く。そこでお父さんが働いているそうだ。無線で呼び出してもらうと、しばらくしてお父さんとお母さん、それとお兄さんがやってきてくれた。懐かしいオトゴーの両親。変わっていない。「よく来たね。」と、ものすごい歓迎を受けた。そして家に連れていってもらってオトゴーと感激の再会。
 今回の旅は、なんだか「オトゴーを探せ!」というゲームでもやっているような感じだった。少しずつ知らされる情報。まず、その情報を得るためのチェックポイントとして、このモンゴルの中でインターネットカフェを探さなければならない。そしてそれらをクリアーして、やっとオトゴーに巡り会えた。
 「まるで、つちのこかネッシーとかいうような幻の動物でも見つけた気分だよ。」と弘行は言った。失礼な!

 オトゴーに再会

オトゴーと6年ぶりに再会 オトゴーは18歳の美しい女性に成長していた。私に会うと、目を潤ませて再会を喜んでくれた。彼女の家は、なんとゲルだった。町なのでてっきりアパートかなと思っていた。お父さんがポリスで、お母さんも勤めているので、遊牧民ではない。四人兄妹の末っ子で、お兄さんが三人。一番上のお兄さんは、ガンダン寺の僧侶だった。これから独立して、この地に新しいガンダン寺を建てるそうだ。彼の奥さんがアメリカに留学していて、私たちのメールを訳してくれていた。そしてお兄さんの子供が三歳になるアノンゴー。はじめは人見知りしていたが、そのうちカメラを向けるとポーズを取ってくれるまでになついてくれた。
 彼らのゲルには電気も水道もない。水は近くの水場へ汲みにいき、夜になるとろうそくを灯す。「トイレは?」と聞くと、外の方を指さした。どこでもトイレだった。お風呂は、町に共同浴場があるという。
 でも、それほど貧しい感じはなく、身なりなどを見てもどちらかというといい家ではないかと思う。お兄さんの新居は建てたばかりの新しいゲルだった。ウランバートルのナラントールザハで買ったというそのゲルに私たちは泊めてもらった。
 モンゴル語と日本語で身振り手振りの会話。オトゴーが英語モンゴル語辞典を持ってきて、それも使って話をする。言葉は通じなくても、気持ちはしっかりと通じるものだ。私の6年前の写真をしっかりと大事に持っていてくれた。私たちの結婚式の写真もちゃんと届いていて、アルバムにしまってくれていた。
 夕食はお母さんの手作りのご馳走。日本のビールまで用意してくれた。 
 オトゴー一家の歓迎を受けた夢のような再会だった。 

 

 7月10日 アルベイヘール〜ウランバートル 445km Total 6,382km
 【みどり日記】

 オトゴー一家との別れ

フタコブラクダを運ぶトラック お父さんが仕事の休憩時間に戻ってくるのを待って、お昼頃オトゴーの家を出発した。オトゴーとは、ウランバートルのナーダムを一緒に見る約束をしていた。今晩の夜行バスでお兄さんと一緒に来るという。それに先駆けて私たちはウランバートルへ戻ることにしたのだが、結局オトゴーはウランバートルに来れなかった。人数が集まらず、バスが運行されなかったようだ。こんな事なら、もう少しアルバイヘールにいればよかった。もう会えないなんて。後で聞いたところ、オトゴーは泣いていたという。私たちはまたウランバートルで会えると思っていた。とても残念でかなしい。今度いつ会えるだろう。本当にまた会えるのだろうか。
 私たちが出発するとき、お母さんがバイクのステップにミルクをかけてくれた。旅の無事を祈るおまじないだそうだ。温かいもてなしを、私はずっと忘れない。
 ウランバートルまでの440キロは本当に遠かった。夜11時近くになってやっと着いた。疲れた〜。

 

 7月11日〜12日 ウランバートル 0km Total 6,382km
 【みどり日記】

 国民的祭典ナーダム

競馬の覇者の行進 ウランバートルで行われるナーダムは、モンゴルの国民的な大行事である。大統領や首相も出席して、テレビ放映もされる。スタジアムで行われる開会式では、民族衣装を着た人が踊ったり、国旗を背負った人がパラシュートで次々と降りてきたりという演出が行われ、まるでオリンピックの開会式のような華々しさだ。スタジアムの入場料は11日は1000tg(約100円)、12日は2000tg(約200円)と比較的安い。開会式、閉会式とモンゴル相撲がここでは見られる。弓はスタジアムの外で無料、競馬は郊外の草原で行われ、これも無料。私たちはバヤサーのガイドでこのお祭りを見て回った。

 競馬

騎手は子供たちだけ 12日に5歳馬の競馬を見た。一番人気があるレースがこれで、「5歳馬のレースを見たら、その年1年間は幸せに暮らせる。」と言われているらしい。さらに、出場した馬の汗をさわって頭に付けるといいらしく、競馬場では、馬の汗をさわろうとする人々が殺到していた。私たちも馬の汗をさわることができた。馬に乗るのはまだ幼い子供達。ご苦労様。
 ナーダムの選手は地方の遊牧民なので、だいぶ前から家族と一緒にゲル持参でウランバートルにやってくるそうだ。競馬場の周りはあたかも選手村のようにゲルが建ち並んでいた。
 
 モンゴル相撲

右が朝青龍のお兄さん スタジアムでモンゴル相撲を見た。暑いし、ずっと座ってお尻も痛くなった。ベスト4からは時間制限がないらしく、史上最長の2時間半という準決勝戦は、ほとほと見ている方も疲れてしまった。客席からも「早くしろ!」のブーイング。周りが次々とペットボトルで座席を叩きはじめた。その盛り上がりに押されて、長い取組もようやく動きが出た。そしてやっと勝負が決まった。決まった瞬間の観客の盛り上がりは最高潮に達し、手にしていたペットボトルを一斉に競技場へ向けて投げ飛ばした。この盛り上がりを直に味わえただけで、待ったかいがあった。弘行も一緒になってペットボトルを叩き、投げ飛ばしていた。
 決勝は朝青龍のお兄さんも残ったが、惜しくも敗れてしまった。
 閉会式は開会式とは違い、あっけない催しだった。馬のしっぽで作った聖なる旗を政府宮殿に返す儀式が厳かに行われた。オリンピックでいう聖火のような役割なのだろう。2日間にわたる熱戦は終わった。
 ナーダムが終わり、モンゴルに秋が訪れた。

 

 7月13日〜14日 ウランバートル 0km Total 6,382km
 ウランバートルに松尾さん現れる

 ウランバートルに松尾さんが到着したとの情報は本人からのメールや「海外ツーリング情報掲示板」で知らされた。彼も僕らの三週間後の船でロシアに入国。同じくシベリア横断道路の自走を考えていたのだが、パニアのトラブルと、大型バイクにとっては凄まじすぎる悪路に耐えかね、途中から列車にのせてきたそうだ。
 出発前にも海外ツーリングライダーの集まるキャンプで数回会った顔なじみ。今日は泊まっているホテルにお邪魔して、旅の話で夜遅くまで盛り上がった。

 彼はすでに世界一周の経験を持っているが、今回は前回走っていなかったシベリア、中央アジア、オーストラリア、アフリカを重点に約2年間かけて回るそうだ。バイクはHONDA ワルキューレ1500。

 7月15日 ウランバートル〜国境の78km手前 273km Total 6,658km
 オイル交換

 ウランバートルを出る前に、日本車を専門に修理している整備工場へ立ち寄る。ここではSJ級のオイルが手に入ったので、オイルパンを借りて自分で交換させてもらった。そしてシベリアではついぞ見かけなかった高圧洗車機があったので綺麗に洗車してもらう。店の名は「NIMONS」。
 行き方はウランバートルの国営デパート前からメインストリートを西へ約5km。ロータリーを越えた先に歩道橋があるのでその手前左側にある黄色い建物がお店。スタッフやメカニックは日本へ研修に行ったことのある人が多く、日本語も上手に話す人が多い。


 モンゴルでキャンプ

 モンゴル滞在の最終日、この国では最初で最後のブッシュキャンプをした。モンゴルの田舎ではゲルを利用した宿泊施設がたくさんあったので自分のテントでキャンプする機会がなかったのである。
 見渡す限り草原の大地が広がるモンゴルでは隠れる場所がないように思えたが、丘をひとつ越えただけで360度誰もいない大草原が広がっていた。まるで自分たちしか知らないプライベートキャンプ場みたいに。
 「翌日になって馬に乗った遊牧民がテントのそばを駆けて行ったけど...」

【みどり日記】

 大雨

 ウランバートルを出てしばらく走った峠で大雨にあった。怪しげな黒雲の下に入ると雷をともなう土砂降りになった。舗装道路の脇の草原は、川のようになって濁流が押し寄せている。道路は周囲よりも高く土が盛られているので影響はそれほどなかったが、これが轍のようなアースロードを走っているときだったらどうなっていたのだろう。自然が一番恐ろしい。
 このとき7人のライダーとすれ違った。ビッグバイクにアルミボックス。大雨のため手で挨拶を交わしただけだったが、この中に後にカザフスタンでお世話になったライダーもいたとは。

 


みどりの食卓

アイラグ(馬乳酒) ミルク缶に焼け石を入れて羊肉をゆでる

【左】アイラグ(馬乳酒) 馬の乳を発酵させたお酒。アルコール分はビール程度(4%くらい)らしい。酸っぱくて馬のにおいがする。甘くない甘酒にヨーグルトを混ぜたような感じだ。

【右】ホルホグ ミルク缶などの鍋に骨付きぶつ切りの羊肉を入れて、焼いた石を入れて煮たモンゴルの郷土料理。

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