モンゴル (1)

6月22日〜6月27日 ウランウデ〜ウランバートル


国境を越えたら急にモンゴルらしい風景に変わった

  2003年6月22日 ウランウデ〜モンゴル国境〜スフバートル 走行 263km TOTAL 4,678km
 モンゴル国境を越える

 ウランウデから230kmほど行ったところでモンゴル国境に到着。
ロシアは出国時にも税関で持ち出し通貨や貴重品の厳しいチェックがあると聞いていたのだが用紙にそれらを記入するだけで、ほとんど何も問題なく通過できた。
 実はロシア入国時にウラジオストクで、最近まで行わなければならないとされていた税関申告をしていなかったのだが、それも問題なしで通関。やはり最近法律改正されて不要になったのだろう。
 モンゴル側の入国はいたって簡単だ。イミグレでビザの欄にスタンプを押したあと、カスタムで持ち込み通過や貴重品、そしてバイクのナンバーを控えてもらい簡単に通過。
 日曜日なので両替はできないと思っていたが、国境ゲートを出たところに両替屋が待っていた。都市部の銀行のレートよりは一割ほど悪かったが、換えてくれるだけありがたい。ここではウランバートルまでの間に使う最低限の金額だけ両替してもった。

 権威ある酔っぱらいオヤジ

酔っぱらいオヤジとその息子さんと孫、そして国境警備兵 国境から25km走ったところにあるスフバートルの町で宿探しに入った。スカイケンジさんのおかげですぐに宿を見つける。が、この宿にはバイクを安全に置いておける場所がないようだ。
 ホテルの前でバイクの置き場所を思案しているとき、どこからともなく太鼓腹の酔っぱらいオヤジがやってきて、みどりのバイクに無理矢理またがってきた。
 その酔っぱらいオヤジ、巨体でスタンドをかけたままスタンディングするものだからスタンドの根本が折れそうだ。
肩をつかんで、「おいオヤジ、降りろ!」と言うのだが、いっこうにお構いなし。
 「このオッサンひっぱたいてやろうか」

 いつの間にかそばにジープが停まっていて軍服を着た若い兵士がいたのだが、なぜか酔っぱらいオヤジにぺこぺこしている。
 実はその酔っぱらいオヤジ、若い兵士と一緒に軍のジープに乗ってきたらしい。そしてよく見たら息子さんや孫まで乗っているではないか。

 事情を察したのか、バイクから降りた酔っぱらいオヤジが、
 「うちのガレージを使ってもいいぞ。」と言い出した。
 ついて行くとそこは国境警備隊の施設。しかも軍服を着た兵士がみんな酔っぱらいオヤジに向かって敬礼をしているではないか!
 じつはそのオヤジ、ここのお偉いさんらしく、かなりの権限をもっているらしい。
 「ああ、ひっぱたかなくてよかった」
 こうして酔っぱらいオヤジのおかげで三台のバイクは安全な軍の車庫に入れられることになった。帰りはホテルまでジープで送ってもらった上、ウォッカまでご馳走になる。

【みどり日記】
 
 夏のシベリア〜モンゴルはバイク旅行者がいっぱい

 ウランウデより東のシベリアでは、自分たち以外のバイク旅行者と出会うことはなかったが、ここでは何人ものライダーと出会った。西洋人にとって、チタ以東は道が悪いうえに、行ったところで海を渡らなければどこへも行けないような地域。わざわざ行く人は少ないようだ。その点、ここまでは舗装路続き、陸続きなので、BMWなど大型バイクにアルミボックススタイルのヨーロッパ人を何人も見かけた。それも、結構年配者が多い。日本では、とかく若者だけの特権のように思われがちだけれど、こんな風にいくつになってもツーリングを楽しんでいる姿は素敵だと思う。

 初めての国境越え

 陸路での国境越えは初めてなのでドキドキしていたが、思ったよりもスムーズに済んだ。夕方5時頃ロシア側の国境に着き、7時半頃にはもうモンゴルの地を踏んでいた。荷物の中身を問われ、一部は開けてみせるように言われたが、形式的にざっと眺めるだけ。ただ、GPSに関しては少しうるさいので、入国時に申告した方が好ましい。
 ロシア側の国境では、「係官に金品などをあげる必要はない。」と書かれた表示を見かけた。今までの噂から、賄賂が横行している国境のイメージを抱いていただけに意外だった。今年のロシアはやっぱり何か違う。
 モンゴル側の国境で、係官からモンゴル語の挨拶を教えてもらった。そういえば、モンゴル語を全く勉強してこなかった。あわてて「こんにちは」、「ありがとう」、「さようなら」の3語を教わるのだった。

 モンゴルの大地

 走り出してすぐ、「国境はただの線ではない。」ということを体感した。シベリアにも草原はあったけれど、モンゴルの風景は明らかにそれとは違う。雄大な大地に日陰を作るものは、建物でも森林でもなく、空の雲なのだ。弘行も感動にひたっているようで、走るスピードがいつもより緩やかだった。

 スフバートルでは、偶然にも国境警備隊のお偉いさんにお世話になり、モンゴルでの滑り出しは上々。何だかホッとなごむ国である。

 

  2003年6月23日 スフバートル〜ウランバートル 走行 325km TOTAL 5,003km

 モンゴルの大草原

 ウランバートルまでの道は意外とアップダウンが多く、いくつか越えた峠では頂から見下ろす草原の風景が壮観。山や丘にはほとんど木が生えていなくて、みどりの絨毯を敷きつめたように丈の低い草が生えていた。
 さすがここはモンゴル、小さな子供が鞍もついていない馬に跨り、広い草原を颯爽と駆け抜けて行くのをよく見かける。

 遠くを見渡せば白いゲルが点々と建っている。ゲルと言えば遊牧民の家と言うイメージだが、ゲルの周りに柵があったり車が停めてあったりでほとんど定住しているような感じの所もあるようだ。
 道の周りでは放牧されているのか勝手に散歩しているのかたくさんの馬や牛、ヤギや豚が歩き回り、のんびり横断する動物達に時々徐行運転をさせられる。実にのどかな風景だ。
 人々も日本人に似て穏やか。荒っぽいシベリアの道と違って心身共に平穏な気持ちで走れるのがいいところ。

 大草原の中の都会

 夕方、モンゴルの首都ウランバートル到着。スカイケンジさんの案内で無事ゲストハウスに入る。
 当初予定していた日本人経営の民宿「あづさや」は改装中のため泊まれなかったが、かわりに同じビルの一室で欧米人向けの宿、「ホンゴルゲストハウス」を紹介してもらった。シベリアからやって来たためかウランバートルがかなり都会に感じる。宿に入って「洗濯機もあるぞ! シャワーはお湯が出るぞ!」と、えらく感動してしまった。

 【みどり日記】

 草原の舗装路をウランバートルまで快走する。写真を撮りたくなるような風景が続く。
 途中、ダルハンの街で両替。
 1$=1133Tg(トゥグリク)、1円は約9Tg。

 ウランバートルは、さすがに首都だけあって交通量が多い。草原に突然浮かぶ大都会に戸惑いながら、目指すゲストハウスを探し回る。

 SARSの影響でいつもより旅行者は少なめらしい。特にドミトリー(相部屋)は人気がないようだ。そのかわり個室は満室。
 ドミトリーでも、ベッドにカーテンとライト、貴重品ボックスが完備されていて、充分に居心地がよい。バイクもゲストハウス所有の頑丈なコンテナーに納まった。長居してしまいそうな予感。

 

  2003年6月24日〜27日 ウランバートル(5連泊) 走行 0km TOTAL 5,003km
再会を祝って乾杯! (ウランバートルの日本食レストランにて) ウランバートルにバイク旅行者5人集合

 25日、宿に見覚えのある顔が現れた。くりすと横江さんだ。彼らも出発前のキャンプで集まった面々である。二人は僕たちの一週間後、スカイケンジさんと同じ日の船に乗ってロシア入りした。その後しばらく音信が無かったのだが、やはりこのあたりで会えると予想した通りだ。

ひとあし先に出発するくりすと横江さん 彼らもシベリアを列車を使わずに自走することを考えていたらしいのだが、くりすがスコボロジーノ手前の町マガダガチ付近で転倒、バイクのアルミボックスが破損し、足にも怪我を負ってしまったらしい。そんなわけで、残念ながら自走は諦めスコボロジーノ〜シルカ間を列車に載せてやってきた。幸い今はバイクも足もある程度治ったそうでほっとする。
 「世界を駆ける仲間同士、どうかみんな最後まで元気で旅を続けてほしいね。」

 早くも物資補給を受ける

 26日、日本から送ってもらったパーツを無事受け取る。実はシベリアの泥道を走っている途中、フロントのブレーキパッドが予想以上に早く消耗していることに気がついていた。
 「南米縦断49,000kmの時は一度も替えなくて済んだというのに !!」
 今回は新車で買って一万キロ程度でほとんど摩耗してしまったのだが、考えてみたら既に日本の道路で6,000km以上乗っていたし、みどりの後ろを走っていたら頻繁にブレーキをかける事になるので、早く消耗するのも無理なかった。
 そんなわけで、ロシア、ウランウデから海外ツーリングの先輩にメールを送り、モンゴルに部品を送ってもらうよう頼んでいた。物資の少ない地域を旅するとき、どうしてもバイクのパーツなどを日本から取り寄せなければならない時があるのだが、日本に頼れる人がいるというのは実にありがたい。

 【みどり日記】

 ウランバートルの生活

 あまりの居心地の良さに、思ったとおり長居をしてしまった。ホンゴルゲストハウスは場所も良く、朝食のパンやコーヒーもフリー、インターネットは1時間500Tg(約50円)と安いうえに自分のパソコンも繋げさせてくれる。
 ウランバートルの街も、シベリアの田舎から来た私たちには快適そのもの。物資も豊富で、食事はおいしい。ロシアと比べると英語はやや通じる方で、たまには日本語を話せる人もいる。

 ただ、医療事情は大変悪いそうだ。歯医者に行った旅行者は、かえって日本での治療跡に感心され、医者が集まってきてどうやるのかと観察されてしまったらしい。結局治療しても痛みは治まらなかったという。電力状態も悪く、手術中に停電ということもありうると聞いた。いろいろと話を聞いているだけで、健康管理には気をつけようと身が引き締まるのだった。

 電話はまだ各家庭に行き届いていないようで、街では電話屋さんが出現していた。大きなマスクをして電話を抱えている姿は少し異様だ。インターネットカフェにある電話サービスにも人は殺到していた。そこから日本へも電話をかけてみたが通話状態は非常に悪かった。でも料金は意外と安い。国際電話は、相手先が固定電話の場合は1分200Tg(約20円)、携帯電話の場合は1分550Tg(約55円)。モンゴル国内への通話は、相手先が固定電話で1分100Tg、携帯で200Tg。 

 100円均一ショップを発見

 ニュー・トーキョウという日本の生活雑貨を売るお店を発見した。中に入ってみると、いわゆる日本の100円均一ショップ。値段は約180円くらいと少し高めだったが、懐かしい品揃えに感激してしまった。
 
 マッサージでお肌のリフレッシュ

 マッサージ好きの私は宿の奥さんに相場を聞いてみた。1時間程度で約500円だというので、さっそく行ってみた。つぼ押しマッサージを期待していたけれど、教えてもらった店はビューティーサロンで、肩からうえの主にフェイスマッサージだった。結構はやっているらしく、男性客も来る。男女一緒なので仕切がないのには少し抵抗を感じた。でも、怪しげなパックなどいろいろなお手入れをしてもらい、今まで紫外線や埃でダメージを受けたお肌のリフレッシュができた。日本で言えば5000円くらいのメニューなので、女性ライダーにはお勧めです。

 


みどりの食卓


モンゴル第二の都市ダルハンでの昼食。
鯉または鮒などの川魚と思われるが、泥臭さはなく結構脂ものっていた。海のないモンゴルでの魚料理は、こういった淡水魚が主であった。

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