イラ (1)

サラーフス〜テヘラン


テヘランのバイク屋街でUS$10のイラン製タイヤを買う

 2003年9月24日 マリー〜サラーフス 263km TOTAL 16,855km

 国境越え

ホテルの看板。  トルクメニスタンとイランの国境は大きな涸れ川で隔てられていた。ここに鉄橋が架かっており大きなキャリアカーが何輌も通過している。よく見たら積んであるのは全部日本の中古車ではないか。「トヨタカローラ東京」など日本語のステッカーが貼られたままなのですぐにわかった。車はイラン側からトルクメニスタン側に向かって運ばれているようで、逆方向から来るトラックは空荷だ。ペルシャ湾から陸揚げしたのだろうか、日本の中古車は極東ロシアだけではなく世界中の途上国に輸出されているらしい。
 そういえば南米を旅していた頃もペルーやボリビアで日本の中古車をよく見かけたっけ。ペルーでは「**建設」とか「**食品」など日本の社名が入ったままの商用車がそのまま走っていたのをよく見ていたな。
 日本では三年ごとに新車を買い換える人がいるけど、それらの車の行き先が途上国だったとは。きっと彼の地での新オーナーは20年くらい大切に乗るのだろう。

 さてさて、トルクメニスタン側の出国はビザの欄に出国スタンプを押してもらい、入国時にたくさんもらった書類を返却するだけ。税関申告書も係官が書いてくれた。最後に税関のオヤジが手招きするので行ってみたらキャンディーと、それに雑誌の記事だろうか、ニヤゾフ大統領とイランの大統領が握手している写真を誇らしげによこしてくれた。周りにいる国境警備兵も全員手を揚げて「シャスリーバ!」(幸運を祈る!)と言いながら見送ってくれた。なんだかみんな素朴な人たちばかり。

 イラン側は出入国カードを二枚書いたほか、バイクはカルネで通関。荷物チェックがあってアルミボックスの中身を丹念に確認された。イランは禁酒国家なので酒の持ち込みを調べているのだろうかと思ったが「拳銃とか持ってない?」と訊かれる。俺ってそんなに怪しいのかな。
 国境ゲートを出るとき国境の役人にホテルの場所聞いたら、親切にも車で案内してくれた。

 【みどり日記】

 イスラムの国イランへ 

イランの女性同様、みどりもスカーフを被る トルクメニスタン側の国境の村、サラーフスはとても小さな村だった。ホテルも期待できそうにない。時間は少し遅かったけれど、今日国境を越えてしまうことにした。
 トルクメニスタンの係官は思いのほか好意的。ホテルなどで嫌な思いをしてきたけれど、この国もそれほど悪くないかと最後になって思わせてくれた。

 さて、いよいよイスラムの国イランへ入る。さっそく私はスカーフを被るように要求された。それに女性は肌を見せてはいけないので、この暑苦しいライディングジャケットも脱ぐことができない。フーッ、とため息が出る。税関の女性係官もマグネと呼ばれる黒いスカーフを被って仕事をしていた。
 イランの係官は概ね人当たりが良く、「オレの弟は昔、日本に住んでいたことがあるぞ。」と自慢げに話しかけてくれる。
 国境越えはトータル2時間半ほどかかった。でも、時差が1時間半もあることに気付き、ちょっと得した気分になった。

 今日は国境の町、サラーフスに泊まることにした。トルクメニスタンの村と同じ名前の町だ。ホテルに着くと、私たちの周りにはあっという間に人だかりができた。町には黒いチャドルを着た女性たちが歩いている。イランに来たんだなぁという実感が湧いてきた。
 ホテルは安いうえにとても清潔で、壊れたところもちゃんと直してある。今までの国とは大違いなので、妙に感動してしまった。ドルで払ってもちゃんとお釣りをくれる。「トルクメニスタンも見習え!」と私は心の中で思った。

 

  2003年9月25日〜27日 サラーフス〜クーチャン 335km+0km+0km TOTAL 17,190km

 イラン

イランではどこにでもあるモスク。 旧ソ連圏を抜けてイランへ入るともうロシア語は通じない。町の看板や道路標識もすべてアラビア文字。ミミズが這ったような字でまるで読めなくなってしまった。
 一昔前、日本でイラン人と言えば、偽造テレカを売る悪どい人たちという印象があるが、一般のイランの人たちは実に紳士的で、どこへ行ってもみな親切。ペルシャ語がわからない我々の、英語や身振り手振りの質問にもよく答えてくれるし、ホテルなどの場所を聞くと多くの人がその場所まで道案内してくれた。

 この国はバイクがかなり普及している。走っているのは125ccクラスの小さなバイクばかりだが、町じゅうに小さなバイクショップがたくさんあり、タイヤなどの消耗品がよくストックしてあった。あるバイク屋に入ったところ、フロントに使える3.00-21サイズのイラン製タイヤを発見。値段は90000リアル(約US$11)という安さで売っていた。ただし大きなバイクは普及していないためリヤに使えるサイズはあまり見あたらない。
 ガソリンが安いのも特筆もので1リッター約10円(650リアル)。しかも旧ソ連圏ではついぞ見かけなかったオートストップの計油ポンプがあった。

 イランは禁酒の国だが、酒を飲まない僕たちには全然関係なし。代わりにケーキ屋が多く、町を歩いていると1ブロックに一軒はケーキ屋が見つかり甘党の我々は大喜び。中央アジアでは毎日腹一杯のメロンを食べていたが、ここでは毎日腹一杯ケーキが食べられる!

 【みどり日記】

 イランの食物

 町の食堂にあるメニューといったら、カバブやシシリクといった肉の串刺ししか見あたらない。それをパサパサしたパンに挟んだハンバーガーらしきファーストフードもあるけれど、あまりおいしくなかった。

 飲み物といえばザムザムコーラ。味にうるさい弘行に言わせると、イランのコーラはコカコーラの味そっくりでおいしいようだ。ザムザムオレンジはファンタオレンジみたいな味で、これもコーラと考えられているらしい。コーラを頼むと「黒か、赤か?」と聞かれる。値段は小瓶で約15円くらい。食堂へ行くと頼まなくても勝手に出てくる。
 
 ケーキはおいしいと言われていたけれど、甘さはちょっと品に欠けると思う。量り売りされていて、小さいケーキ六個買ってもたったの100円程度だった。
 町にはピーナツやひまわりの種などを売るナッツ屋さんもあちこちにあった。イランは酒が飲めないかわりに甘党の人が多いのか、ナッツの皮にも砂糖がけされていた。

イランのパンは薄いけど香ばしい味わいだ。 パンは薄くて紙のようなものと、少しふっくらして表面が波打った形のものなどがあった。町にはパン屋さんからのいいにおいが漂っていた。パン屋さんに並ぶ買い物客の列も、イスラムのしきたりにより女性と男性に分かれていた。

 ライスは、細長いイラン米。少し臭みはあるけれど塩を入れて焚いているのであまり気にならず、かえってご飯の甘みを感じる。パラパラとしているが意外とおいしい。イランの人はバターをのせて食べるらしい。

 ある日、宿のおじさんが私たちに料理を分けてくれた。これが何だかわからないけれど、見ただけで「もう結構です。」と言いたくなるようなものだった。小麦粉を水で練ったようなドロッとしたものの中に挽肉や野菜などが入っている。赤くて油ぎった汁も浮いている。一口食べてみたけれど、とても私たちの口には合いそうになかった。生っぽい感触が嫌なので、とりあえず焼いてみることにした。が、こびり付くだけで全く焼けず、ますますひどくなるばかり。申し訳ないけれど、捨てるしかなかった。
 宿のキッチンでカレーを作っていると、そこの奥さんと息子が「それは何?」と言って興味を示した。勧めると不思議そうにしながらも、おいしいと言って味わっていた。
 そのお礼なのか、怪しげなごっちゃ煮を少しどうだと言って差し出されたけれど、今度は丁重にお断りした。どうもイラン人とは食が合わないかもしれない。

  2003年9月28日 クーチャン〜アザドシャル 362km TOTAL 17,552km
 アフガン難民

 路上で警察の検問があり、パスポートチェックを受けた。日本から走ってきたことを告げると派出所に入れてくれてお茶をいただいた。先日も検問でメロンをもらったのだが、イランの警官はホスピタリティのある人たちばかり。
 彼らの写真を撮りたかったのだが、どこの警官も「NO」との返事。ロシアや中央アジアの警官・軍人が喜んで写真に収まってくれたのと対照的だが、統制が末端までしっかり行き届き、警官としての規律が守られている証拠だろう。

 警察署の前には停められたバスが滞留していた。なんとアフガニスタンからやってきた人々が大勢バスに乗っているらしい。そこの警官が言うには、彼らはパスポートなし・ビザなしで越境してきたとのこと。戦火をのがれてきた難民だろうか、いったい彼らはどこへ行くのだろう。イランは昔から多くの難民を受け入れてきたと聞いたことがあるので、彼らも悪いようにはされないのだろう。戦火が消え、彼らが早く故郷に帰れる事を願う。

ガソリンスタンド

 【みどり日記】

 アジアハイウェイ

 イランの道はとても状態が良く、車は時速100キロ以上のスピードで私たちを次々と追い越していく。さすがアジアハイウェイというだけある。
 町に入ると周りの車の走り方が荒っぽいので、ちょっと怖い。特に道が合流するところはヒヤヒヤする。すぐ目の前を横切るように車線変更をしたり、割り込んだりしてくる。さらにバイクとなると、まとわりつくような走り方をするので大変目障りだ。それもノーヘルで二人乗り、三人乗りも平気である。後ろに黒いチャドルを着たおねーちゃんを二人も乗せてかっ飛ばすバイクをよく見かけた。
 時差があったためか、イランに入ってからは特に日が短くなったと感じるようになった。夕方6時にはもう薄暗くなる。以前のように遅くまで走れないので、ここにきて道路状態が良くなって距離を稼げるようになったのは大変ありがたい。

 

  2003年9月29日〜30日 アザドシャル〜マフムダバード 346km+17km TOTAL 17,915km
 カスピ海と海の家

快適装備のプレハブハウス 幹線道路からはずれカスピ海の海岸に出た。海水浴場の看板を見つけて入って行くと日本とそっくりの黒い砂浜に、日本の海の家そっくりの掘っ建て小屋が並ぶ。ゴミの散らかり具合も日本みたいだ。
 海岸沿いにプレハブの小屋が並んでいたので、もしやと思って行ってみるとやはり海水浴客向けの宿泊施設だった。中にはダブルベッドがあり、トイレやシャワー、キッチンや冷蔵庫もあった。それにテレビ、扇風機までついている。バイクは横付けでき、ホテル以上に快適な部屋だ。
 「今日の宿はここに決まり!」
 150,000リアルという言い値を季節外れという事で80,000リアル(約US$10)にまけてもらう。

チャドルを着た女性がそのままの格好で海に入った。 浜には季節外れの海水浴客が来ていた。黒いチャドルを身にまとった女の人もいる。彼女たちはどんな格好して泳ぐのだろうか。全身を覆うウエットスーツみたいなものでも着るのかな?
  しばらく眺めていたら、なんとイラン女性はチャドルを着たまま泳ぎだした。イスラムの戒律は厳しいとはいえ、そんなにまで徹底しているとは。海水浴の時くらい水着になると思っていたのだが...。

 【みどり日記】

 リアルとトゥマンス

シーズンオフで廃業した海の家。 カスピ海の魚を食べようとレストランへ入った。サラダとご飯をつけたら117,000リアルもした。宿代が80,000リアルだからそれよりも高い! はじめ一桁間違えたのかと思ってしまった。
 イランの通貨はリアルだが、もう一つ別にトゥマンスという単位がある。トゥマンスはリアルよりも0をひとつ取った状態で表示される。イランに来てまず戸惑ったのがこれだ。初日にスカーフを買ったとき、いくらかと聞いたところ電卓で1,800と数字を示された。てっきり1,800リアルだと思い1,000リアル札を2枚出すと不服そうな表情。私の財布を覗いて10,000リアル札を2枚抜き取ってお釣りをよこした。実は18,000リアルだったようだ。
陸路イランまでやってきたドイツ人ライダー 後でイランの人に聞いたところ、一般に値段を言うときはトゥマンスを用い、品物に価格を表示する場合はリアルを用いることが多いという。なんとややっこしい。一桁違うので、間違えると大きな問題だ。たまには本当のリアル単位で数字を書いてくる人もいるので、さらに紛らわしい。
 このレストランは例のごとく11,700という数字を示してきた。私はてっきり11,700リアルだと思い安さに喜んだのだが、これはやはりトゥマンス表示だったようだ。 戸惑う私をかわいそうに思ったのか、レストランは500リアルだけ負けてくれた。

  2003年10月1日 マフムダバード〜テヘラン 221km TOTAL 18,136km
 カスピ海からテヘランへ

カスピ海の下に石油が埋蔵されている。 カスピ海沿岸からテヘランまでは快適なワインディングロードが続いていた。峠を挟んでカスピ海側は湿気が多く山は木々がびっちり生い茂っている。今朝は小雨の中を出発したのだが、いざ峠を越えて内陸側に来ると空が晴れ渡り、空気は乾燥していた。内陸側の山はほとんど木が生えず、岩肌がむき出しになっている。
 途中のレストランで鱒の焼き魚、みどりはカスピ海産と思われる魚の串焼きを食べた。レモン汁をかけて食べるが醤油につけて食べたいところ。
 川沿いにニジマスの養殖場をよく見かけた。さっき食べたニジマスの焼き魚もここで養殖されたのだろうか。

 テヘランの交通事情

小さなバイクが車の間を逆走している。 テヘランの交通事情はこれまで走ってきた大都市の中でも最悪といっていいほど悪かった。
 今までも中南米の都市を走ってきたわけだが、運転マナー最悪といわれたメキシコシティーやサンサルバドールの比ではない。それは交通量の多さもさることながら、信号機がほとんど機能していない事も理由のひとつだろう。信号機の大部分は赤や黄色の点滅信号で、こちら側が黄色の点滅でも交差点を横切るのは命がけ。優先道路など関係なしに先に出た者勝ち、度胸のある者が進めるといった感じだ。ただ、暗黙のルールみたいなものがあって、みんなきわどいところで譲り合っているようだ。そんなルールがまだわからない我々旅行者は何度もヒヤヒヤさせられる。一度は横から来た車に接触されてしまった。数センチの違い、コンマ一秒のタイミングの違いが事故になるような走り方だ。
 小さなバイクがゴキブリのようにワサワサ走っている事も走りにくくなる原因で、彼らはすり抜けはもちろん、反対車線を堂々と逆走するので気が抜けない。しかも小さなバイクに三人乗り、四人乗りで!

 こんな状態なので、走りながらホテルを探すなんて至難の業。町の中を地獄のような交通に翻弄されながら走るが、ホテルが見つからないばかりか、自分達が今どこにいるのかもわからなくなってしまった。陽はもうとっくに暮れ周りは真っ暗。
 道ばたにバイクを停め途方に暮れていると、人がわらわら集まってきて、安いホテルの場所を教えてくれた。しかし、親切に説明してくれるのはありがたいのだが、土地勘がまるでない僕たちに 「○○通りを右へ行って、その先の××スクエアを左に曲がって,,,,」 などと言われてもまったく頭に入らない。
 そのうち口で説明しても埒があかないと悟った人が小型バイクでホテルまで先導してくれることになった。再び地獄のような道を、すり抜け・逆走を繰り返しながら走り回り、二〜三軒まわってやっと好条件の宿にたどり着くことができた。市街地の中心部に宿代が安くて近くに駐車場があるところなんてここくらいのものだろう。
 先導してくれた男性は ホテルや駐車場の受付で料金交渉してくれた上、荷物運びまでしてくれて大変お世話になった。そしてひととおり手続きが終わった後、 「ではイラン旅行楽しんでいって!」 と言って爽やかに去っていった。本当に困っているときの親切ほど身に浸みるものったらないなぁ。

 【みどり日記】

 騒音の街

テヘラン近郊に富士山そっくりの山があった。 今日の運転は最高に怖かった。遠くからテヘランの街を見ると靄がかかっているように見えるが、これは排気ガスのためなのかもしれない。それほど街は渋滞していた。
 バイクはエンジンが熱くなり、ノッキングを繰り返していた。イランのガソリンは安いけれど、オクタン価は低いようだ。全く読めないためよくわからなかったが、特にオクタン価表示はされていないと思う。入り交じっているので、調子が悪い場合はオクタンブースターを入れるのだと後で知った。
 ホテルを案内してくれるお兄さんの後を必死についていった。反対車線は走るし、アルミボックスつきのバイクでは到底抜けられないような場所もお兄さんはすり抜けていく。勇気と強気でぐいぐい行かなければ、渡ることも進むこともできない。バスは男性と女性に分かれて二連結になっているため長い。そんなバスとバスの間をすり抜けるなんて、押しつぶされそうで本当に怖かった。お兄さんを見失わないように走るのも命懸けだ。
 やっと適当な宿が見つかった時は、心底ホッとした。案内してくれたお兄さんも汗だくになっている。「何か困ったことがあったら連絡して。」と言って名刺をくれたが、アラビア文字で名前すら読めなかった。
 車とバイクの音でテヘランは何ともうるさい街だ。この街を出る日にまたこの渋滞を走らなければならないのかと思うと、気が重くなってきた。

 

  2003年10月2日〜5日 テヘラン 0km TOTAL 18,136km
 テヘランのバイク屋街

 ラジ・スクエアから モハマディエン・スクエア付近にバイク部品・用品屋が何十軒も並んでいて、上野のバイク屋街のような雰囲気が漂っていた。但し、店頭に並んでいる物はほとんど国産品。値段は安いけど品質はそれなりだろう。
 売られている消耗部品はこの国でよく普及している125ccクラスのものが豊富だが、それ以外となると難しそう。

テヘランのバイク屋街でイラン製のタイヤを買う。US$10という安さ。 ここではイラン製の「YAZDタイヤ」を買う。ネガティブ比が低い長距離向きのブロックパターンで、フロント用3.00-21サイズの物が手に入った。価格は一本80,000リアル(約1,200円)と激安。ただ、見つけたのはフロントタイヤだけ。イランは125ccクラスのバイクが多いためリヤに使えそうな太いサイズのタイヤは少なく、あってもモトクロスタイヤばかりでツーリングには使えない。
 それからみどり号(ジェベル)のバックミラーがカザフで転倒したときに割れたままだったので、イラン製のミラーを買った。これも二本で18,000リアル(約270円)という安さだ。
 安い安いと喜んでいたら、さらにお店の人が冷えたジュースを奢ってくれた。なんて親切なんだ!

イラン製のタイヤ(上)とすり減ったミシュランT63(下) 3日、金曜日はイランの休日だ。ホテル近辺の商店もほとんどがシャッターを下ろし、交通量も減って道路ががら空き。今日は駐車場でタイヤ交換しようと思ったのだが、なんと駐車場もシャッターが下りているではないか! 今日は諦めて明日出直そう。

 4日、駐車場でタイヤを交換していたら、通りかかる人何人にも「イラン製のタイヤはよくないぞ!」 と言われてしまう。駐車場のオヤジには「急ブレーキかけるとバーストするから気を付けてな」 などと言われ、不安を通り越して笑ってしまった。ヤレヤレ(^^;
一応 、4プライレーティングでサイドウォールの厚みもあるから大丈夫!(..と思いたい) アフリカに入る前にもう一度換えるので、スペインまであと6,000km程度もてばいいんだけどね。

 【みどり日記】

 イランの両替

映画の看板に出ている女性まで被り物をしている。 両替の方法はその国によって違うので、いつも戸惑うところである。
 イランではまず、クーチャンという町で銀行に行った。混雑した銀行内をたらい回しされたあげく、ここでは両替できないということがわかった。もう少し大きな街の中央銀行じゃないと外国人は両替できないようだった。 
 「じゃあ、どうすればいいの?」と困った私が尋ねると、宝石屋などへ行けば替えてくれるかもしれないと教えてくれた。さっそく近くのお店に行くと、私の渡したドル紙幣をよくよく確認して、さらにそれを銀行へ持っていった後、イランリアルに替えてくれた。
 次はカスピ海の田舎町に行ったときに両替をした。その時は文房具屋で替えてもらったのだが、持ち合わせがあまりなかったようで、US$20しか替えてもらうことが出来なかった。
 テヘランならば銀行で替えられるだろうと思って宿の主人に尋ねると、両替ならその辺でできると言われた。確かに大通りに出ると、アタッシュケース一杯にリアル紙幣を詰めた両替屋がたくさん客引きをしていた。
 というわけで、私たちは一度も銀行で両替をしていない。両替屋が見つからなくても、宝石屋や電気屋といったようなお金を持っていそうな店に行くと替えてくれるものである。小売店で買い物をしていたら、そこの主人に両替を持ちかけられたこともある。どこもレートはそれ程悪くなかった。
 このようにドルキャッシュを持っているとどこの都市でも困らないけれど、トラベラーズチェックやカード類は役に立たないことが多いようだ。イランのような国はやっぱり現金にかぎる。

 ようこそイランへ!

 イランへ来て、人々が本当に優しくて親切なことに驚いた。「イスラムの戒律が厳しくて怖い国」とか、「偽造テレカを作るあやしいイラン人」などというイメージを抱いていただけに、そのギャップは大きかった。
 街で立ち止まっていると、必ず彼らの方からやってきて話しかけてくれる。屋台の食べ物を珍しそうに眺めていると、奢ってくれたりする。バイク屋街の場所を尋ねると、住所を書いてタクシー捕まえて料金交渉までしてくれる。とにかくこの手の親切を数多く受けた。
 人々の口からは、「May I help you?(何かお手伝いしましょうか?)」とか、「Welcome to Iran!(ようこそイランへ!)」などといった言葉を良く聞いた。本当に私たち外国人を歓迎し、何か困っていることがあったら助けてあげようという気持ちが伝わってきた。
 髭もじゃのイラン人も、よく見るととても優しそうな顔をしている。その昔、たくさんのイラン人が日本へ働きに来ていたけれど、日本での仕事は決していい仕事ではなかったと思う。それなのにみんな嬉しそうに「昔、日本に住んでいたことがあるんだ。」と私たちに話してくれる。日本にいた頃のことは、彼らにとっていい思い出なのだろうか。彼らは日本人だというだけで、特に私たちに親切にしてくれる。私たちはイランの人に親切だっただろうか? 
 一面だけを見て固定観念を抱いていたけれど、実際にその国へやって来てそれは大きく崩れた。

 

みどりの食卓

 

【左】ニジマスのグリル カスピ海からテヘランへ行く途中の川沿いにニジマスの養殖場がたくさんあった。 
【右】魚のシシリク 
カスピ海産の魚の串焼き。スダチやレモン汁をかけて食べるのだが、醤油が欲しくなる。

【左】ラブー 甜菜を砂糖で甘く煮たもの。通りの屋台で買うとトレーに入れて汁をかけてくれる。食べ始めは、トウモロコシの味に少し似ていると思った。
【右
ファルデ でんぷんを凍らせて春雨状にしたものにシロップをかけて食べる。日本でいうかき氷のようなもの。始めパリパリしているけれど、口の中で溶けるような不思議な食感である。シーラーズ辺りが本場らしい。

 


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