日本(佐久〜伏木)


佐久市の(元)自宅アパート前にて

  2003年5月27日 佐久→長野 走行 63km TOTAL 63km
パッキングに何時間かけてるの! パッキングに手間どる

 今回の旅立ちにあたって、アパートを引き払い倉庫へ家財道具を搬入したのだが、予想以上に物が多かったため、引っ越しに一週間もかかってしまった。 

 出発当日、旅の荷物を一度パッキングするが、全部積めない! 大慌てで持っていく荷物の再検討。

【みどり日記】
 最終的な家財道具の引っ越しと、車やバイクの保管を終えたら午後になっていた。
そしていざバイクに旅の荷物を積んだら、うっ、積めない!
うちにあった米や食材、化粧品など、処分しきれなかった物たちの量も影響していると思う。
 四苦八苦のうえ、やっとパッキングしてバイクに乗ったら、重みで倒れそうになった。
自分のスペースも少なくて、身動きがとれない!
こんなんで、大丈夫なのかしら?

 弘行の知人宅へ挨拶をしたあと、私の実家へ着いたときはもう夜遅くになっていた。
両親はお赤飯を炊いて、ごちそうを作って待っていてくれた。
 おかずに出ていた鯉の煮物は、「無事に帰ってこいよ。」という意味らしい。
この旅行に大反対の父が母に頼んで作ってもらったもので、それを聞いて涙が出そうになった。
「弘行と二人、無事に帰ってくるからね。

 

  2003年5月28日 長野(連泊) 走行 0km TOTAL 63km
 壮行会

 長野市内の郵便局でドルキャッシュやトラベラーズチェックを買う。ドルキャッシュの交換レートは約120円、T/Cのレートは118円。ロシアではATMや、T/Cを換金してくれる銀行が少ないとのことで、ドルキャッシュが一番両替しやすいらしい。

 夕刻になっていつも自転車やスキーにご一緒させてもらっていた仲間に壮行会を開いていただいた。この壮行会を主催していただいたのはMさんといって、有名な芥川賞作家の従兄弟である。うちの親父と同世代なのだが、休みの日はトライアスロン、パラグライダー、スキーなどして過ごし、時には自転車で長距離ツーリングもこなすパワフルなお方だ。数年後の還暦には自転車による日本一周ツーリングも計画しているとのことで、彼の年齢を感じさせない行動力にはいつも感心させられている。

【みどり日記】
 バイク仲間の丸山さんご夫妻らが、壮行会を開いてくれた。
「愛情はもらおうと思ってはだめよ。愛情は与えるもの。与えただけ返ってくるものなのよ。」という丸山夫人の言葉が印象に残る。最近の自分を振り返って反省。
 そして、夫婦としてこなれてくるのは20年くらいたってからとのこと。結婚して1〜2年の私たちは、まだまだひよっこ。この「ユーラシア・アフリカツーリング」という新婚旅行は、いろいろな苦難を乗り越えたら、まさに「真婚旅行」となるのかな。

 

  2003年5月29日 長野→高岡(富山) 走行 248km TOTAL 311km
 みどり居眠り運転

みどりの実家 みどりの実家を出発して30km程度走ったあたりで、前を走っていたみどりが蛇行運転を始めた。連日の徹夜の疲れがでているようだ。
 昨日も壮行会から帰った後、荷物の最終チェックや準備で、寝たのは朝方になっていた。
危なっかしくて見ていられず、道の駅で休憩をとることにした。

 みどりに濃縮カフェインの眠気覚ましを飲ませつつ、夕方遅くに高岡市に到着。伏木港にはすでにロシア船「ミハイルシュロコフ号」が停泊していた。

道の駅で昼寝してしまったみどり  日本で最後の夕食を回転寿司でとった。さすが富山は、回転寿司でもうまい!
 夕食後、今日泊まる予定だったキャンプ場を探す頃にはすっかり日が暮れてしまった。太田自然公園のある山の中を走り回るもののキャンプ場は見つからず、仕方なくゲートボール場の駐車場で野宿。
 翌朝、ゲートボールにやってきたおじいさん数十人に囲まれてしまった...。 

 食べるよりも、まずねぐらの確保を先にすべきだった!

【みどり日記】
 2泊した実家を出発したあと、お世話になったサイクルショップへ挨拶に行った。
ここの店主は、もともと有能なバイクメカニックなので、バイクの改造ではいろいろとアドバイスをいただいた。適切な箇所へ最低限の補強を施したマシンは、これからの旅の力強い味方となっている。

 夕方、富山着。
ミハイルシショロコフ号をみたら、一気に旅の気分になってきた。

 

  2003年5月30日 高岡→伏木港 走行 20km TOTAL 331km
 ミハイルショロコフ号

デッキの上まで中古車でいっぱいだ 午前中、携帯電話の解約や必要物資の不足分を買い足しをしていざ税関へ向かう。税関では持ち出し物資の申告をするのだが、ここではバイクのみ申告。車台番号やナンバープレートの番号を記入したあと、国際登録証などのコピーをとってもらい十数分で終了した。

 船の前に来るとそこはもう日本じゃないような雰囲気。腕っ節の強そうなロシア人大男が日本の中古車やタイヤ、写真の現像機などを次々と船に積み込んでいる。ほとんど中古車運搬船のような感じで甲板の上にまで中古車が所狭しと載せられていた。

バイクは係員が積み込んでくれる 船の規模は全長140m幅21mとのことで、北海道行きのフェリーよりひとまわり小さいくらい。乗客のほとんどがロシア人で、もちろんスタッフもロシア人。船内放送もロシア語でたまーに英語のアナウンスが流れる程度。

 船内の部屋は日本のフェリーの一等客室くらいだろうか。(だろうかと書いたのは日本で一等に乗ったことないので) 折りたたみ式の二段ベッドが二つあり、シャワー、トイレ、洗面台もついている。部屋に鍵がかかるのでセキュリティ上安心だ。

 船内はウラジオストクの時間にあわせてあり、日本時間よりも2時間進んでいる。ウラジオストクの経度は九州と同じくらいなので、普通に考えると時差があったとしても時間が遅れるはずなのだが、なぜか早くなっているらしい。なので、5月下旬の今では夜9時を過ぎても外は明るく、10時頃やっと日が暮れる。

船室はこんな感じ【みどり日記】
 ここのところ、暑い毎日。でも、今台風が接近してきているそうだ。船、揺れなきゃいいけど。
しっかり酔い止めを買って、乗船。
出航は何時?と聞いても、みんな「夕方」としか答えない。
本当は6時くらいらしいけれど、結局今日も7時くらいになっていた。アバウトな国らしい。
 日本から出る船とは思えないくらい、伏木港やこの船の中は「ロシア」だった。
でも、不思議とまだ旅に出るんだという実感はわいてこない。
「着いたら小樽だったりして。」と弘行が言った。まさにそんな感じ。

 

 2003年5月31日 伏木港→ウラジオストク(日本海上) 走行 41km TOTAL 352km
 この船は一日三食の食事がついており、パンとサラダとスープ、メインディッシュに肉料理が出てきたりする。しかしボリュームは意外と少なく、これであの大きなロシア人の巨体が維持できるのか不思議。

 昨日の夜出航して以来日本海はほとんどべた凪で、海面はまるで鏡のようだった。一日三度の食事をする以外ほとんど船室に籠もり、今更ながらロシア語の会話帳や地図を見て過ごす。
 さあ、明日はいよいよユーラシア大陸上陸だ。

【みどり日記】
 今日は雨。でも、思ったよりも揺れは少ない。
食事も込み込みの快適な船旅は、私たちにとって、よい休養になった。

次→


←戻る